息子は小学校入学から4年間、剣道を続けています。
練習は好きだけど、試合は泣いて拒絶するほど大嫌いみたいです。
試合が嫌いだから、大会や遠征にはほぼ不参加(試合への参加は任意参加で強制ではない)。
日々の稽古にはルーチンで行く。
息子の目標が何なのか、私には謎のままです。
周囲の保護者の方からは、『続けてるってすごいよ』と言っていただけていて、私には非常にありがたい。。。
”試合には参加しなくても、練習はやる。”
”息子が好きで続けているならそれで良い。”
私も頭ではわかっているつもりです。
でも、せっかく続けているんだから、やっぱり試合に出て勝つ姿を見たい。
と言うのは私の願望です。
もう一つ、「試合には出ない」と断るのが心苦しい・・・
これも、息子が気にしていない以上、私だけの問題です。
『続けることに意義がある』と言うけれど。
周りのみんなは(多分)試合で勝つために練習している。
そこに、勝つためではなく続けるためにいてもいいのかな?
嫌ならやめてもいいよ、とは言ってあるのに勝つためではなく続けることって出来るのかしら?
そんな疑問を抱えていたので、自分の気持ちの整理も兼ねてこの記事を書いてみることにしました。
『周りのみんなと何かが違う』ことに、モヤモヤと悩んだ時に読んでもらいたい記事になっています。
抱えるモヤモヤをスッキリとさせてください。
目次
周りみんなと何か違う、悪いことじゃないのに何故かもやっとする
ある土曜日の剣道の稽古はとてもこじんまりとしていました。
稽古に参加するメンバーは、初めたばかりの初心者の子が2人とうちの息子。
そして息子より一つ下の学年の子の4人、そして先生が一人だけ。
稽古の人数が少なかった理由は、4人以外のメンバーは練習試合に参加していたからです。
試合が大嫌いな息子は、任意参加の試合は、ほぼ全て不参加です。
だからこの日も試合にはゆかず、いつもの道場で、初心者の子達と一緒に基礎練習に参加しました。
ニコニコしながら、防具や竹刀の準備をしている子供を見ていると、なんだかもやっとする私。
私は頭の中で
『形も綺麗になってきたし、そんなに剣道の筋は悪くないと先生も言ってる。試合に出てもっと実践を積めば、きっと良い成績が出せるのに。何でやる気を出さないのかなあ。闘争心無いなあ』
と考えていました。
自分で考えたことに、またもやっとしてきたので、一度その場を離れました。
頭を冷やそうと思って、練習が終わるまで外で待つことにしました。
お天気が良かったので程よく暖かい日向に座って頭の中を整理しました。
『やる気がないって言うのはちょっと違うんだよね。やる気がなきゃ普段の練習にも参加しないだろうし。やめていいって言ってあるんだし。あ、そうか。何のためにやってるのか目的がわからないからモヤっとするのか。送り迎えも楽じゃ無いのに・・・。成果を出す気が無いのに、毎度送迎してることにイラついていたのか、何だそっか。』
落ち着いて考えたら、私は自分の利益がないことに対してモヤモヤしていただけだったと気が付きました。。。
気にしているものは、本当は「みんなと違う」ことじゃない!
私が、気にしていたのは息子が「みんなと違うこと」ではなかったのです。
みんなと違う行動をしている息子に、「ハズレくじを引かされた気分を感じている自分」でした。
『試合で活躍する姿を見たい!』『子供のかっこいいところを見たい!』という希望が叶わないからイライラしている。
モヤモヤの原因に気がついて、少しスッキリしました。
子供の思うようにすると、自分の思うようにならない、だけど子供のお世話はしなきゃ・・・
考え事をしている私の前を、す〜っと横切った人がいました。
息子の他にもう一人、練習試合に参加せず稽古に来ていた子のお父さんでした。
その姿をみて、私はもう一つ気づきました。
試合にゆかず練習だけに参加する子が、ウチの子だけではなく、もう一人いたことにホッとしている自分。
私は『一人だけじゃなくてよかった』と思っていました。
子供に対して、『仲間がいてよかったね』と思っているのか、
それとも
私自身に対して、『試合にゆかない子が他にもいてよかったね』と思っているのか
あるいは、両方か。
やっぱりみんなと違うってことを、微妙だと思っているのかなあ??
周りのみんなと違う、別にいいと思っているけど、何かが気になる心理
私は『子供は健康であればいい』と思っています。
『将来はなりたいものになれば良いし、どこに行っても良いし、自由に好きなところを動き回れば良い。そのために必要な知識や技術は、自分で身につけるんだぞ。』
と息子には言っています。
『私も一人でどこか海外に行ってくるから、春休みは小学生ホームステイ行ってみる?』とか提案したりもします。
これは、半分私の本心で、半分は違います。
普段目につく日常の何気ないこと・・・
それこそ、剣道を習っているのに試合には出ない。
周りの子がやっているのに、息子はやらないことをとても気にしています。
だけど、それも気にしているのは結局は周りの目。
正確には周りの評価を気にしている。
周りの評価を気にしていることさえも認めたくないから、モヤモヤしているって気がついたんです。
周りと違っても別に構わないし、違うことが悪いことではない。
頭では、そう思っているのに、同じほうがいいと思っているのは、自分が目立ちたくないから。
周りと違うことで、浮き上がる子供と一緒に自分が浮き上がるのが嫌だったからです。
みんなと違うのが嫌なのは、絶対に目立ちたくないから
記憶を辿る限り、私は小学生の時にはすでに、目立つことを、わざわざやる子を白目で見ているような子供でした。
目立つ子には絶対に近寄りたくない、と思っていました(笑)
それなのに小学生の私の教材は、ほとんどがクラスのみんなと違いました。
・ピアニカ
みんなは青いのに、私だけが茶色 → 音楽会で目立って超嫌だった。
・裁縫セット
みんな学校で買って同じもの、私は自宅にあったもの(道具は全部揃っている)→ 形が違って使いにくい
・辞書
みんな学校が斡旋したもの、私だけ違う出版社のもので少し古い →先生の指定するページを開いても意味がない
などなど。
使えるから、本来は困ることは何もないのですが『一人だけ違う』という状況が本当に嫌でした。
目立つのが大嫌いで、引っ込み思案だった私は、可能な限りみんなの中に隠れていたいと思っていました。
仲間はずれになるのも嫌だけど、目立つのも嫌、埋もれていたい・・・
『目立たなければ、周り順位をつけられることはない』と、子供の私は思い込んでいました。
そして、そのまま大きくなりました。
今は、周りと違っても別に良い、悪いことではないと頭では思っています。
だけど、違っていることで、周囲につけられる評価を気にしたままです。
だから、周りに溶け込んで、周りの反応がないように、同じであろうとしていたのです。
周りと違って何が悪い?何も問題なんてない!と思うには
ウチの子どもは、私の小学校の頃と同じように、持ってる教材は周りのみんなとは違っているものが多いです。
息子は3回、転校を経験したので、色々な小学校の持ち物が混ざっています。
でも、息子は何も気にせずそのまま使っています。
運動着も大きなサイズを買ったので、今も前の学校のままで他の子と色が違います。
それでも息子は『みんなと同じのにして』とは言いません。
私にとっては、運動会やマラソン大会などで、同じ運動着の集団の中から息子を見つけるのが簡単なので非常にありがたいです。
一度、そのままでいいのか息子に聞いたことがあるのですが『別に着れるからいい』という答えが返ってきたのでそのままになっています。
そろそろサイズの都合で買い替えになりますが、それでもここまで『みんなと同じにする』という理由での買い揃えは一度もありませんでした。
気にしない人は、何にも気にしない。
息子は、周りと違っても何も気にならないらしいです。
息子がすごく、羨ましい・・・と思いました。
息子には、周りと違っても自分で考えて動く自分自身のひらめきを行動に移せるようになってほしいと思っています。
子供独特の、創作意欲やアイディア(大人から見ると、ゴミに見える・・・)ダンボールや、綿、ストローなどを使って本人はいたって真剣に作った工作。
ただ散らかしたように見えて怒ってしまうことが多いですが、身近にある元ゴミからでも、あれこれ自分で考えて工作して作り出している今を忘れないでいてほしい。
そう思います。
周りと違うことを受け入れるには、モヤっとしても、何も言わず最後まで見届けることが必要みたいです。
周りと違うことが悪いと思うのは
みんな同じにするのが正解で、違っているのは間違い。
この感覚が強くて結局、子供を通して自分が周りからどう思われるかを気にしていた、と気づいたらちょっとだけ楽になりました。
モヤモヤの原因も結局は周りの目。
自分自身ではなく、子供の行動から色眼鏡で見られるのが嫌だったんですね。
結局は、私も子供を見る時に、周りの大多数と同じ思考、を持ったまま子供を見ていたからモヤモヤしていたんだ。
剣道だったら、やるなら勝つべきた
→本当に??
勝つ気がないとやっちゃいけないの?
→そうじゃないぞ
楽しめればいいんじゃない
→そこは賛成。
剣道とは何か、を私は知りません。
でも、その剣道がなんたるものか、を考え教わっている子はどのくらいいるんだろう?
先生たちでさえ、一人一人の考え方は違うし、教わる子供たちもそれぞれ異なる解釈をする。
その中で、うちの子どもが出した答えは、そのまま尊重しよう。
子供にとっては、自分で出した答えが全てなんですよね。
違う答えを持っている私が、そのまま受け入れるのはそもそも無理だったんだとやっと気がつけたと思います。
一つ一つの事柄について、『普通はこうだ』と思っている部分を一個づつ、書き換える、白紙にする。
そしてたやっと人と違うことを受け入れることができるようになるみたいです。
周りと違うことは、悪いことではなく、当たり前と思っていることを覆すきっかけになる部分。
型にはまり込んでなかなか抜け出せなくなっているけれど、ちょっとづつ壊していってみようかと思える出来事でした。
自分の子供が周りとちょっと違うことを、誇りに思えるようなお母さんになろうと思います。